おり紙新聞 | [ Event , Internet/Web ] |
「こどもの日」というわけで、昨日4日と本日5日の朝日新聞朝刊には「おり紙新聞」なる広告が載っている。7つの企業が各1頁の広告、そのカラー印刷された紙面を「読んで、切って、折ってみてね」というわけだ。
まぁ、広告だから、無理なキャラクターを折ったり.......てなもんだが。
同じものが、ウェブサイトから PDF をダウンロードして遊べる。
文言に「...........こどもの日のステキな 思い出をつくってください。」とあるが、いつから「思い出」はつくるようになってしまったんだろう。昔は「思い出」って、.....なったり、....ならなかったりするものだったような気がする。
Posted by 秋山東一 @ May 5, 2007 08:30 AMやぁ、皆さんどうもです。
なんだか、折り紙の広告の話しが、言葉の話しになってしまって恐縮です。
akiさんが折った写真がでていてるかな、、、と
思ってしまいました。
最近気になる言葉で、趣味をつくる、という言い方。
カルチャースクールに通ったとしても、
趣味になったりならなかったりしそう・・・
「思い出」も「趣味」もそのキッカケとなれば幸い、
というところでしょうか。
そうですね。
わざわざ『つくる』ものでなく、自然に『うまれる』ものなのでしょう...。
「思い出......」もそうですが、「自分探し......」とかも、深層心理を消費に向かわせるべく、広告代理店が操作してるようで実に嫌な言葉ですね。
たかさん どうもです。
そんな言葉尻を捉えてと言われそうですが、「思い出......」は気になります。昔、そんな風に言ったこともないし、聞いたこともないのです。なんだか「.......作る」のが当たり前のように、世の中、みんなそんな言い方しているのかしら...であります。
それなりに「思い出」はありますが、作ってもらったという覚えはありません。
親になって想うのですが、先生のいわれる通り最近の社会は、『おとな目線の子供観みたいなもの』が強く根底にあるように感じてなりません。
やっぱり、いつの時代になっても『こどもはコドモ』。大人のおもうような『感じ方・育ち方』はしてくれません。
いかにこどもたちが、その真っ白なキャンバスに感じたものを自分らしく描いていくことが出来るのか?
それは僕たち、おとなたちがいかに『現実といういまを克服し溌剌と生きている姿』を見せることができるのか?
ということになるのかもしれません。
それがいろんな意味での『思い出』になるのでしょうか...。
(追伸)少しおおげさな言い方になってしまい申し訳ありません(謝)。