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雪に生きた八十年

BOOKS

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本書「雪に生きた八十年」は、猪谷六合雄の1972 (昭和47) 年に出版された。

戦中、1943 (昭和18) 年に出版された「雪に生きる」の続編というべきものなのである。71年に定本として復刊された「雪に生きる」にともない本書が刊行された。

書名の「......八十年」は、氏が幼少の時から雪に親しんできたことが背景にあるのだ。

本書刊行時、著者・猪谷六合雄は82歳というお年であった。そこではスキーに生き、そのスキーのための山であり、放浪、家作り、車となり、本書では老人問題にまで我が事として書かれているのである。

.......私は十年ほど前に、なにかの挨拶状を印刷した時に「自分は山の中で生活していたので、いつまでたってもなかなか大人らしくなれなかった。でもそのうちには大人になれるだろうと思っていたら、いつのまにか大人を通り越して老人になってしまった」と書いたのを覚えている。これもまさに本音で、私の生活はなんとしても、当時の世の中の常識からは、知らないうちにどれだけずつかはずれてしまうのだった。
 それは今までずっとそうだったのだから、今後何年生きているかわからないが、これからも多分同じことだろうと思う。
.......

と自序の中に書かれている。

前著「雪に生きる」を補填するように、第一部では、赤城で生まれ、各所を転々とした少年時代、青春時代が語られる。

1943(昭和18)年、「雪に生きる」を出版した年、猪谷一家は長年住み慣れた番所(ばんどころ)からスキーと子息・千春の中学校進学のために青森へと移る。
過酷な戦中の生活、そして戦後を生き延び、赤城山、そして志賀高原と、スキーの為に大いに活躍されるのである。

1961(昭和36)年、72歳にして自動車運転免許をとられる。ちょうど日本国も自動車時代、モータリゼーションの先駆けという時代だ。
車でどこにでも出かけるという夢をかなえ、戦前、たくさんの小屋を自力建設してきた延長のように、車を改造しそこに住んでしまう。そんな自由な発想と行動力の人なのだ。


目次

    自 序

第一部  思いだすことなど
     思い出
     初期の放浪生活
     動物的本能

第二部 「雪に生きる」その後

 第一編 戦中戦後の生活
     番所から青森へ
     要目時代
     敗戦前後
 第二編 志賀高原時代
     三度目の赤城山時代
     志賀高原へ移る
     スキー合宿
 第三編 アメリカ・ヨーロッパ行脚
     スター氏との出会い
     アメリカのスキー行脚
     アメリカ漫走九千キロ
     千春の卒業式と最初のヨーロッパ行き
 第四編 スキー技術と指導法
     スキー技術の問題点
     初心者の指導
     宮様方のスキー
     スキー覚書き     
 第五編 車の生活
     自動車学校へ行く
     車に住む
     九州へ
     北海道行き
     イタリー行き
     車断片
     蚊をとって事故を起こす

第三部  私の生き方と老人問題
     物の見方、考え方
     人生と幸福
     人生の生き甲斐とは

     年 譜



.............
とある農家の角を曲がりかけると、道ばたの小川が逆光に水面をチラチラと光らせながら、サラサラと軽快な音をたてて流れていた。私はその音を耳にした瞬間、ああ、水も平和な音をたてて流れるようになったという気がした。そうするとすぐ、馬鹿な、水はいつだって同じ音をたてて流れているじゃないかと思うと、やっぱり自分の心の中に、いつかもう平和という気持が、そっとひろがりつつあるのだということを、しみじみ感じるのだった。
(1945年)

戦争が終わった時の話の最後だ。猪谷六合雄氏の人間的な何か........好きなところだ。

1986年、96才というお年でお亡くなりになるまで、その感性は衰えず、そのエネルギーに感服するものである。

本書も「雪に生きる」をお貸しいただいたM氏にお借りした。「謹呈 猪谷六合雄」と見返しに署名があった。M氏の叔父上は猪谷氏と知り合いだったとのこと、これは叔父上の本なのであろう。


aki's STOCKTAKING: 雪に生きる
aki's STOCKTAKING: 猪谷六合雄スタイル

Posted by 秋山東一 @ December 12, 2006 12:12 AM
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