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公的空間・私的空間

THINK

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MADCONNECTION の「公的空間・私的空間」のエントリーで、東京新聞の記事「『TOKIO』は個性ー欧州から見た都市空間」というスイスの美術家の「都市空間としての東京の考察」が紹介されていた。

その中で「公共空間と私的空間の境界のあいまいさ」が指摘されていたが、これも又、公的な施設の私的使用の風景ではないかと思うのだ。

近所の八王子大和田郵政宿舎のフェンスを物干し代わりにしているのだ。その当事者は道路を隔てた住宅の住人だ。この先にプランターを置いて植物を育てている住人もいるが、物干し代わりは、この住人だけなのだ。

このフェンスが他者の私的な物であるならば、こうはすまい。郵政宿舎のフェンスであるという公的なという認識が、この住人をこのような行為にはしらせているのであろう。あまり美しいとはいえない(共同住宅の物干しや手すりの布団や洗濯物と同じではないかとも言えるが)し、公的な仕掛けを、私的に乱用していると思うのだが。
これをモラルの問題、美意識の問題等々にしてしまうのは容易いが、こんな風に使用している人の意識とはどうなのか......考えてみたいのだ。

以前、下北沢の事務所の前の小さな公園に、布団や洗濯物を自転車で持ってきて干している人がいた。近くに住んでいるとのことであったが、程なく、公園周辺の住民が注意して止めさせられた。
聞いた話だが、その行為の当事者は、神戸で震災に遭われ公園で生活された方だそうだ。それ以来、その行為に抵抗がなくなったと言っておられたそうだ。

公的空間・私的空間の境界のあいまいさは日本人の固有の問題なんだろうか。

Posted by 秋山東一 @ November 27, 2006 11:27 AM | TrackBack (0)
Comments

アブさん、玉井さん、どうもです。
いやぁ、この実行者と話したわけではないのですが、「公」に対する抵抗というような高級な意識を持っているような人ではありません。
基本的には、歩道の街路樹根本の植栽、バス停の椅子とかの「公共空間と私的空間の境界のあいまいさ」と同じ行為に思えるのですが、それが「洗濯物」となった途端に、何かほほえましい.....と思えるものではなく、何か薄汚れた印象があります。この実行者は極端に「公共空間と私的空間の境界」を感じない人なのでありましょう。電車の中で「牛丼」を食べてた奴みたいな.....。こういう意識がどこから生まれてくるのか......問題にしたいと思っているのです。

Posted by: 秋山東一 @ November 29, 2006 01:10 PM

MyPlaceを標榜している私としては、「おまえ、なんとか発言しろよ」と言われている気がする写真ですね。たしかに、AKiさんがおっしゃるように、美意識や領域の問題とはちょっとちがうものが加わった行為という感じがします。国家公務員に対するいやがらせと実用を兼ねた行為というわけなんでしょう。いやがらせというのは、けんかを売るのとにているようで、はっきり違う薄汚れたところがありますね。これを首相官邸の塀にやればかならず反撃があるから、それは喧嘩を売ることになるけれど、この場合は相手からの反撃をうける可能性がきわめて低いことを知っている。だから自分は安全な場所を確保した上で相手のいやがることをやるワンサイドゲーム。だから、上役が部下に教師が学生にするセクシャルハラスメントと同じで、ひどくいやしい行為という気がするのでしょう。
あれっ、AKiさんの嫌う長いコメントになっちゃっいましたが・・・・
      

Posted by: 玉井一匡 @ November 29, 2006 07:31 AM

公的空間・私的空間の境界の曖昧さですが、こちら大阪では有る意味、最強かも(笑と思うこと、しばし・・です。
とはいえ、文化や人格云々よりは、経済力が大きく起因しているような気がします。
また公的・私的な曖昧さという意味では、マンションなどの共有部の使い方などもその端的な例かもしれません(^^;;
※余談ですが、官舎の場合利用規定が細かく明文化されているので、物干し代わりは×だと思われます(笑

Posted by: アプ @ November 27, 2006 02:14 PM
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