030714

迫さんのスタンダード

BeV Standard , OM/VOLKS HAUS

「住宅建築」1999年4月号の[まちを見る] 建主と楽しむイエづくり
 ー鹿児島・シンケンの方法ー

フォルクスハウスを進めていた、OMソーラー加盟工務店の鹿児島・シンケンが特集された。その特集に寄稿した。


迫さんのスタンダード


シンケンの迫さんはここに紹介するようなレベルの仕事を週に1軒こなしている。


鹿児島という一つの地域で、年間50軒という住宅、フォルクスハウスを作り出しているのだ。「木造打ち放し」と宣伝されるフォルクスハウスのシステムを活かしながら、一戸一戸、その各々の敷地にすんなりと、個性的でありながら一本筋の通った住宅を作り出しているのである。その量に驚くと同時に、その質の高さに目を見張る。



その質とは建築としての質を意味するだけでなく、それらの住まい手を含んだ「住まい」としての質の高さである。その住まい手が生き生きとした生活を展開している器としての質なのである。
10年程前、迫さんはOMソーラーの加盟工務店となる。それまでのシンケンという組織はいわゆる工務店の範疇に属した、ちょっとなにかこだわっている家を作る工務店というところだった。OM加盟以来、水を得た魚のように迫さんの活躍が始まる。鹿児島県唯一の加盟工務店としてたくさんのOMソーラーの住宅を作り続けてきた。その彼の設計するOMソーラーの住宅は独特の考え方に発展してきた。単純にしてのびのびしたプランニング、敷地形状によらず太陽の方位を大切にする建物配置、それによって生み出される三角形の空地の扱いの巧みさ、そして充分に考え抜かれた外構の設計、それらによって鹿児島の「シンケンの家」として確固としたポジションを形成してきた。



それは「シンケンスタンダード」あるいは「迫スタンダード」ともいうべき住宅の定型を作り出してきたといえる。それは「標準化」ともいうべきものである。その性能をあげ、その精度をあげようとする時、標準化は避けて通るわけにはいかない。経験を重ねることによる、その失敗をもふまえて標準は構築されるものである。


標準化という言葉から感じる画一的な大量生産、その印象は誤解である。一戸の住宅がいつも実験的であり感覚の表現であるような世界とは無縁なだけである。迫さんにとって量を作り出すことが目的ではなく、質を希求する姿勢がこれだけの量を作っているのである。OMソーラーのフォルクスハウスが登場した直後からそのシステムを採用し、彼はその標準化をより先鋭化させてきた。その躯体、骨組みが大工職に依存する在来工法であるかぎり標準化の試みは表層にとどまり、根本的に限界がある。フォルクスのシステムによって施工のみならず設計という行為自体を含めての標準化を指向しうる。

それから5年あまり、彼の組織「シンケン」は全く新しい組織へと変革されている。旧態依然たる工務店組織から脱却し、その営業も設計も施工も平均年齢27歳という若いスタッフ達に任せられている。工務店とも設計事務所とも異なる新しいハイブリッド型の組織として、着々とその環境を整備させつつある。同時に「住まい教室」というような建主への活発な啓蒙活動も行われ、それは質の高い建主を生み出し、「シンケンの家」への共感を生み出す源泉となっている。それは自然発生的に、建主と将来の建主によるシンケンファンの集団ともいうべきユーザーズグループまで作り出している。住宅の供給が大組織、大企業のハウスメーカーに牛耳られてからすでに久しい。しかし、現在その画一的な商品化住宅が多くのユーザーから飽きられ、不信感をもたれているのも現実である。それに代わるべき住宅のあり方、その手法、設計・施工の考え方、それを供給する組織を作り出さねばならない。

それに対する設計事務所の無力、工務店の非力は明らかである。それは従来の設計事務所、工務店という形態を乗り越えた組織でなければならない。今、迫さんが鹿児島という一地域に作り出した「建築家・迫のフォルクスハウスによる設計施工」という実践、そしてそれに共鳴し共感するユーザーの存在こそ、これからの住宅を作り出していく方法であると考えている。

秋山東一

住宅建築 1999年4月号所収


Posted by 秋山東一 @ July 14, 2003 05:00 AM
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