041030

自立した........

THINK

今日で新潟の地震から1週間が経過したことになる。

相変わらずの余震、本震とまがうばかりの凄まじさに身じろぐ。被害の様相も明らかになり、その被害の悲惨さに驚く。日々、寒気が近づく今、非難生活を余技なくされている被災地の皆さんに、ただただ、そのご苦労が早く終了されんことを祈るばかりだ。

今回の地震が、1995年の阪神淡路大震災の「都市型震災」とすれば、「農村型震災」とどなたかが書いておられたが、同感である。過密な建物の倒壊、そして火災による被害よりも、今回は過疎に近い農村山村での震災だからである。道路等を含めたライフラインの途絶の問題が顕著のように考えられる。

これはそのような農村に居住したこともなく、このような災害にも遭遇したことのない自分が考えることであるから、間違えがあればご指摘願いたい。

今回の大きな問題は、この農村を都市型に変え、都市に従属させるようにしてしまった問題ではなかろうか。あのどんな物でも、いつでも買えるコンビニはどうだったんだろうか。そこには備蓄はなく、商品は必要な時、必要な量があるというシステムはその供給ラインの途絶で機能しなくなったに違いない。
農村の「都市化」というような政策が結局、このような災害に弱い農村を作りだしてしまったのではないだろうか。

分散させ、各々がそのエネルギーやその成立基盤を自立させることが必要な気がする。テレビで見る農村の被災地の避難生活は都市部のそれと違って、それなりに自立しておられるように見える。

新潟地方の農村を外側から見る時、各戸に大型の灯油タンクが備えているのを見ることができる。それは農業用であると同時に居住用の給湯・暖房・融雪に使われているのであろう。
その灯油を燃料として水素 を取り出し、この水素を使って発電し、同時に給湯・暖房を行うシステム、家庭用燃料電池コージェネレーションシステムということにならないのであろうか。

地震に強く高性能な住宅と、自立したエネルギー源によって駆動するエンジンによって、災害に強い世界を作らねばならないと考える。

Posted by @ October 30, 2004 07:36 AM
Comments

自動車と住宅を、エネルギーという項目で括り、新しい概念の元に考えられればいいですね。いつも夢想しているばかりで、きちんとした考えを提示できないのがつらいところです。
自立するには排出物の処理の問題も「自立した.....」には欠かせませんね。私の設計した住宅でコンポストトイレを設置(新設ではなく、使っておられたものを移設)したものがありますが、それによって生産された肥料を流通する仕掛けと、それをメンテナンスする仕掛けが整備されれば、どこでも無理なく使えるのではないかと思います。そのコンポストトイレは大きなタンクの上に便座をつけたような感じのもので、配管等の設備的なところがないところが優れていました。
そんなに処理方法に変えられれば、浄化槽や下水処理施設に依存することはなさそうです。

Posted by: 秋山東一 @ November 8, 2004 11:20 AM

自動車と住宅の関わり合いについては、実はお聞きしたかった事です。
車が日常の移動手段であると同時に、緊急時のテント・照明・ラジオにもなることを考えると、積まれてるエンジンと燃料の活用と利便性の向上はもっと考えられてもよいと思っていました。今はまだ、「移動出来る自分の小部屋」くらいまでしか進んでいない気がします。
現行のガソリンエンジンでは排気と燃料確保の問題がありますから、高効率のクリーンエンジンが可能ならば、おっしゃるような、更に進んだ、全ての用件を備える、又は繋ぐものになるかもしれませんね。
それから、自立には排出(下水・ごみ)の要素は当然必要と思うのですが、処理プラントを家庭内で持てれば全体的にも有利ですね。
我が家は当初浄化槽があったのですが、下水道が整備されたら埋められてしまいました。コストの問題なのでしょうが、各戸に有れば下水道破損時に多少は足しになるのではないのか、と素人考えで思ったことがありました。

Posted by: ton @ November 6, 2004 03:43 PM

こちらこそ、ありがとうございます。
すぐれたコメントをいただき、エントリー自体も鍛えられている気がします。
このエントリーを書こうと思ったのは、住宅用燃料電池を設置する環境として各住戸に燃料タンクが設置されている例として、新潟の農村の風景が語られていたからです。もちろん、そんな事態になれば燃料もメタノールというようなことになるんだろうと思います。もう一つ、燃料電池搭載の自動車に乗って別荘に到着、その別荘に自動車を接続してエネルギー源となるという話も語られてきました。
一戸一戸の住戸がそんなエネルギー源を持った自立したものとなり、同じく移動する自動車がエネルギー源となると同時に、その燃料の輸送手段であったり、その備蓄容器になっているなんていうことを構想してもよい感じがします。
一時話題になったマイクロタービンによる小規模の住戸グループのエネルギーも選択肢の一つかも知れませんが。
今回、携帯電話の無線アンテナが倒壊したというような話もあるようですが、携帯電話、無線電話のシステムをもっともっと強化して欲しいものです。もう固定電話という概念自体も捨ててもいいのかも知れません。

Posted by: 秋山東一 @ November 5, 2004 10:39 PM

こういう事を考える機会は意外とないので、ご返答頂いてる事で、また考える機会を得る事ができます。ありがとうございます。
なるべく対象単位を小さくした上で、自立させる事が可能な機関があるという事に全く異論は無いのですが、私が言いたいのは、その機関を活用(というか駆動)させるための必要条件の話をあまり聞いた事が無いので、それらの備蓄の期間・方法・運用はどうなるのか、という事なのです。
電気はエネルギーですが、発電させるための機関とエネルギー源は別で、ソーラーパネル等を別にすると、その技術を動かすエネルギー源自体が、秋山さんのおっしゃるように、既存のライフラインに載っているのではないでしょうか。(灯油が電話一本というのはそういう意味です。)
機関を自立させるには、エネルギー源の自立も不可欠と考えたのですが、各戸で用意するには無理・無駄が少なくないと導入されないでしょう。
各戸に設備が実現すれば災害時の対処・復旧もおそらく早くなるでしょうから、導入費用は別にすれば、備蓄も少量で済むのかもしれませんし、機関や設備の方が小型・高効率になることでも考慮の必要は無くなるのかもしれませんが。
そういえば、緊急時用の水の備蓄と通常時の電気使用の低コストを両立する給湯設備は既にあるようですね。発電はしないようですが、これにソーラーパネルを組み合わせれば既存技術でかなりの自立が可能になるのでしょうか。話で聞く分には導入費用はともかく、運用には無理・無駄がないように感じます。(効率の程は判りませんが)
ちょっと話が変わりますが、各戸で発電さえ可能ならば、無線LANを各戸に配置することで、電話線が切れてもLAN経由で情報・会話のやりとりが自立的に出来るのではないかと夢想したことがあります。距離やセキュリティの問題はありますが。

Posted by: ton @ November 5, 2004 08:06 PM

もちろん、私も夢想しているだけです。
でも、このような災害時、既存のライフラインは脆弱で機能しなくなってしまったのです。
日常的な使用に対する考察は必要なことと思いますが、現在のライフライン自体、今までの想像力の内のものでしかありません。
より自立した仕掛けである必要があると思います。例えば、固定電話は機能しないのですから、携帯電話の強固なるシステムを形成すべきですし、水、電気、ガス、情報、その全てが自立的にあるという環境は可能であると思うのです。
ライフラインといわれる設備が整備されたのはそんな昔ではありません。全て極最近であり、地方都市でもこの50年程度ではないでしょうか。電気は通っているという前提自体、電気自体の供給も電力会社が成立にた後のことなのです。各個で発電しうる技術があれば、自立した電気環境が存在するはずです。
各住戸、各建物毎に自立した環境を必要とし、その設備・装備を必要としているように思えます。

Posted by: 秋山東一 @ November 4, 2004 10:43 PM

いえ、私など夢想しているだけですし、建築など解りませんので、よほど足らない意見を述べていると思います。
自立・独立するためには設備もそうですが、むしろ備蓄と、その日常的活用(これがされていれば準備・整備・補充が自動的に行なわれる)が問題になるのではないでしょうか。
例えば、灯油で発電という案も、灯油を「備蓄するかどうか」という所に行き着くと思うのです。農作業や暖房に年中必要なわけではありませんし、いつでも電話一本で届けてもらえると思えば備蓄はしません。電気は通常なら通っているのですから、発電のために灯油を備蓄するかどうか。また、多量の備蓄は危険を伴いますから、その設備はどうするのか。…という風に。
ちなみにこの辺りの考えは網野善彦氏の、飢饉に関する考察を読んだ時に裏付けを得た気がしたのですが。

Posted by: ton @ November 4, 2004 09:55 PM

ton さんご意見ありがとうございます。
考えが足りずに書いているかも知れず間違いっているかも知れません。
生活すること、生存すること、それに必要な施設が必要であることは十分承知していますが、結局、土木建築的な施設、いわゆる箱物という施設を作ることに依存しすぎているような気がします。私は、それらがより自立的、独立して運用できる形である必要があるのではないかと考えています。まだまだ、考える必要があるのではないかと思っています。

Posted by: 秋山東一 @ November 3, 2004 09:45 PM

それら道路が無かったならば、救出も脱出も更に困難だったと思うのです。
それ以前に、「ライフライン」などもろくに整備されず、より過疎や廃村が進んだだけではないかと。田中角栄はよく知りませんが、そういった交通手段を望んだのは基本的には、それらの村々ですし。(結果的な功罪はあるでしょう)
しかも、救助隊も報道陣もそれら道路(壊れなかった部分を、ですが)を使って来ている訳ですし。それら交通手段がよくできていると、過信してしまう危険はあるかもしれませんが、それとこれとは話が別と思います。
また、農村だから備蓄や備えがあるとは限りません。そう見えた場所も、人口規模が小さいために相互扶助が多少出来たという程度ではないでしょうか。

Posted by: ton @ November 3, 2004 09:15 PM

今、テレビで今回の新潟中越地震についての話を聞いている。

今回の震源地・中越は元田中角栄首相のお膝元、今、避難してる御年寄りはその田中角栄の熱烈なる支持者・越山会のメンバーであった。その田中角栄が推し進めた「列島改造計画」によってできた新幹線、高速道路、過疎の村々を都市につなげる道路、トンネル、それらが破壊されたのだ。それらが、どんなに脆かったのか、この地震はそれを示している。

まさしく、農村の都市化の問題と思う。

Posted by: 秋山東一 @ October 31, 2004 09:58 AM