PIPER POE / 2004永眠 | [ Cats , THINK ] |
PIPER POE パイパー・ポーが亡くなりました。
2004年10月10日午後7時30分、八王子の家で、見舞いにくる長男の到着を待っていたかのように、私と長男の見守る中、家内の腕の中で安らかに息を引き取りました。
パイパーは20年ちかく、秋山家の家族の一員として過ごしました。
1999年4月の写真
1984年11月、荻窪で生まれました。
1985年1月5日、渋谷区上原の秋山家にもらわれてきました。秋山家は夫婦と、上から10才、6才、2才という3人の子供たちがいました。その一員となりました。
上原、鎌田家の広い庭でのびのびと育ちました。
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いつのまにか20年弱、20才を目前、いつのまにか年老いてしまいました。
2003年暮、もう外に出て行くのも不自由になり八王子に移りましたが、9月末あたりから、だんだんと衰えてきていました。
昔遊んだ子供たちも、その長男も30才、二男26才、三男22才と大きくなりました。
パイパー、さようなら。 又。
● PIPER POE /1985春
● PIPER POE /1985夏
● PIPER POE
● PIPER POE /1999春
● PIPER POE /2004秋
飼い猫は、家に居着いたその日から家族になってしまいますね。それが居なくなってしまうのは、悲しいことです。
PIPER POEと同タイプの衣装を着たうちの正太郎にもいつかその日が来るのかと思うと、寂しくなりますね。ちょっとくらいうるさくご飯をねだっても、今日は勘弁しといてやろうと思います。
お悔やみのコメントありがとうございます。
パイパーは強い猫でした。何度も外で喧嘩してケガをして何度も入院をしました。でも、いつもケガは顔や頭でありました。それは強いボス猫の証です。
でも、パイパーは性格のいい猫でした。誰にでも好かれ愛された猫でした。
たくさんの楽しみ、たくさんの喜びを共にした家族の一員をなくした悲しみは大きく深いものです。
PIPER POEの死去、お悔やみ申し上げます。
わがアトリエに住み着く猫たちもいずれは他界するわけですが、それを思っただけでも私は悲しくなってしまいます。
ご家族の心中を(勝手に)お察しいたします。
家族のみんなに看取られて、彼は幸せだったとおもいますよ。
1984年、私は中学1年生でした。今くらいの年齢になって、親も年を取って、抗うものでもなく切実に、命の燃やし方はそれぞれだと思うようになりました。
今那須に住んでいる私は、今まで見ることのなかった小さな生き物の、誕生や、生命力を失ってゆく姿を間近に見るようになり、その度にぼおっと、自分の中の朧げな時を自覚するようになりました。
秋山家に愛されたPIPER POE君の、ご冥福をお祈りします。
写真の中の勇士は、お会いしたことのない私の胸にも響いてきます。