041008

広島平和記念資料館

Architecture , Hiroshima , THINK

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いつかいかねばならないと考えていた広島の「広島平和記念資料館」にいくことができた。

6日7,8日と、OMソーラー協会主催の「OM設計スクール」が開かれ、講師として出かけていった。
無事終了した7日午後、でかけていった。

JR広島駅前から路面電車に乗って「原爆ドーム前」で降りる。目の前が原爆ドームだ。

原爆ドームを左手に見ながら川沿いに歩き、元安橋をわたり平和記念公園に入る。小中校生、修学旅行の学生で一杯だ。

まっすぐに平和記念資料館に向かう。端正な表情を見せる丹下健三設計の建物だ。正面の資料館、右手の記念館、左手の国際会議場とは中空の渡り廊下でつながっている。左手の記念館が「広島平和記念資料館」が入口だ。

その入場券が大人50円、たくさんの人達に見せるべく、そんな低廉な設定になっているんだろうか。

…………………………

その展示は予想通りのものであった。
世の中、徐々にきな臭い方向へシフトしていく今、なにも変らない凛とした主張がそこにある。

広島平和記念資料館WEB SITE

Posted by @ October 8, 2004 12:21 AM
Comments

interfuse_b さん、こんにちは。

私も Honda さんがお書きになった「東京に分館.........」には賛成できません。
やはり、その場所であること、そこにあること、そこに行くことが大事なことのように思います。

今回、二回目の広島ですが、すてきなところですね。

Posted by: 秋山東一 @ September 17, 2005 10:05 PM

東京に分館を作る事は大反対ですね。今まで数多くの外国の方、偉大な人も来ます。でもしかし、広島に来るとその場で考える事が重要でどの外国人がいいますし、丹下一家ともどもその地は重要な地であると東京につくってもしょうがないと言ってます。
広島駅にジュンク堂ができて、丸善はなくなりました。
今、広島は古い建物と新しい建物が交差しています。
広島の地元だからこそ、言えるのであって他の地域であればそのことは言えないのでしょうか。

Posted by: interfuse_b @ September 17, 2005 09:29 PM

Honda さん、こんにちは。

私もそのように思いました。有名な人の影が焼き付いたという建物の石材は、昔、写真で見たの強烈さを失っていました。
今回、広島のその場に行けたということが大事なことでありました。

Posted by: 秋山東一 @ October 8, 2004 07:50 PM

広島の原爆資料館では、資料そのものの経年変化が課題になってきているようです。

例えば、原爆の熱線光で人の形が影になって焼き付いた壁などは、僕が中学生だった30年位前は、はっきりと人の形がわかりましたが、最近見たひとの話ではもうなんだかわからない展示だったと言っていました。

事実を伝える意味では、東京に分館をつくって、内外のエライ人たちには絶対見てもらうのもいいでしょう。

Posted by: Shigeo Honda @ October 8, 2004 07:33 PM

秋山先生に設計スクールでお世話になりました。
有難うございました。
広島に住んでいると、原爆ドーム、資料館、平和公園・・・8月6日の朝8時15分に一斉にすべてのテレビが黙祷の中継をすることで、今日は原爆の日なんだな、と思うくらいです。
もちろん、1分間黙祷しますけど。
それ以外では、改めて感慨を持って眺めることもなく日々に追われています。
だからこそ、8月6日がいつまでも特別な日であり続けることが大切なのかな?とも感じます。

丸善、なくなったのでしょうか?
本通のアンデルセンの前にあって、時たま利用してました。
ご多分に漏れず広島もお店の移り変わりは激しいです。

Posted by: 松下陽子 @ October 8, 2004 04:51 PM
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