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HURET "ALLVIT

CYCLE

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昔の自転車カタログファイルを見たらユーレーのアルビーの説明書があった。もう、知っている人も少ないだろうからエントリーしておこう。
赤いランドナーのディレーラーだったのだ。

いろいろ分かっているわけではないが、 1960年代、カンパニョロ、サンプレックス、ユーレーとパンタグラフ式のディーレーラーがでてきた。その中でユーレーのアルビーだけが独特な形をしていた。ギヤの接線に沿って斜めに移動する合理的な形であった。
ユーレーのアルビーはルブールのイラストのルネルス のディアゴナールに描かれていた。


Posted by @ September 7, 2004 11:12 PM
Comments

道家さん、ごぶさたしてます。
今でも、道家さんのランドナー(キャンピングかと思っていた)のことを鮮明に覚えています。色はフランスパンの中の白、オフホワイトでしたね。
でも、どうしてここが分かったのですか。

Posted by: 秋山東一 @ November 28, 2004 08:23 AM

無茶苦茶に懐かしい話を見付けました。大行が乗っているロードはブルーメタリックで、高校時代に使っていたmachinaで、弟が大学対抗の八王子のコースのレースで3番手で走っているときに落車に巻き込まれて壊しお釈迦になりました。
東一に会ったときに造ったランドナーは芸大の受験勉強をそっちのけで、鳥山さんの論文を読みながら自分で図面を引き、カンパのクイック・ラージハブやヘッド、ブルックスのサドル、ディレイラーはカンパを改造して、ジュラルミンの丸棒から削る出したロングステイのワイドレイシオ(確かフロント18枚〜43枚バック14枚〜 24枚)に対応出来るようにして造りました。私が造った頃はオーダー自転車の冬の時代で、クロモリ (クロームモリブデン鋼)のダブルバッテッド が手に入らない時代でしたが、何とか確かキャンピング 用の0.8mm~1.3mmのセットを手に入れ、芸大に入れたので、親からの許可が出、やっと東叡社にお願いして組んでもらいました。ブレーキは東叡がパックっていたマファック をオリジナルで手に入れていたので、それで組んでもらいました。バックのキャリヤーはルネルスのデザインをまねて自分で鉄パイプを曲げ、小学校の同級生の家の鉄工場で溶接をしてもらい、バックは洋裁をしていた母に教えてもらいながら帆布を長い針で縫ってつくりました。当時は何処にも何も売っていなかったので、全部自分で造らないといけない時代でしたが、構造計算の感覚や、自分で物づくりをする感覚を作れたのが成果です。自分で設計した自転車は芸大に入った年に、東北の相馬中村から岩手の宮古まで1週間の野宿の旅と、そのあと9月の授業に合わせるため、軽井沢を朝6時に出て午後の授業にでたのを最後に弟に譲り、数年後に車にぶつけられ、フレームがバラバラになって、自転車人生は終了しました。当然部品を造ることから車輪の組み立てなど、あたりまえに自分でやっていましたから、そのあと自動車に移って、いじり倒して遊びましたが、やはり自転車の魅力は残っています。度々パリに行っていますが、ルネルス の場所が分かりません。どなたかご存じの方が居られましたらごお教えください。現在京都で年金を貰いながら建築の設計をしております。道家駿太郎

Posted by: 道家駿太郎 @ November 28, 2004 02:09 AM