030602

借景

Architecture

LANDship/STOCKTAKING/011001

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先日、京都「圓通寺」の高名なる庭園を見に行った。

建築家にしてランドスケープデザイナーの内藤恒方先生とご一緒させていただいた。
先生には京都嵯峨野に建築中の住宅の造園設計をお願いし、その事前調査に現場にお出でいただいた時、これからの計画の「借景の庭」というテーマの研究に出かけたのだ。学校の屋外授業に出かけるように工務店の社長築出さんの運転で、洛北、鞍馬方面への急な山道を登って圓通寺にでかけていった。

入口で撮影禁止ということでカメラを取り上げられる。ここはそういうところなんだ。

書院に入る。真東に向き、縁をへて庭がひろがる。一面の苔、石組とツツジの枯山水、それを囲む水平にのびる生垣が視線を拡げる。杉と檜の木立の垂線、それは書院の柱と一体になる。その先の竹林、そして、視線はまっすぐに比叡山に向かう。比叡山とこの庭との間に大峡谷が存在するかの感覚にとらわれる。
「借景」という技法の教科書のような空間がそこにはある。
そこに自然のままにあった風景の前に近景を作りだしトリミングし風景を作りだす術がそこにある。そのレトリックとしての手法を「借景」というよりも、芝居の「書割り」とでもよんだほういいんじゃないかと、ちと考えた。
京都に通うようになって感じることだが京都は山が近い。物理的というよりも、それも「書割り」のように近いのだ。その極限がここにある。
内藤先生も1970年に来られて以来とのこと、先生の授業にその庭の一時を楽しむ。

そんな時間、昔の芸大の修学旅行を思い出した。古美術研究旅行という奈良京都(建築科は姫路城までいった)の旅行なのだ。学部3年の秋の一ヶ月弱がそれにあてられる。それは、奈良京都の宿泊先から毎日毎日、古寺仏閣を巡る(というよりも嫌がる我々が連れていかれる)旅行なのだ。贅沢にも、その頃そう簡単に見ることの出来なかった桂離宮から修学院まで連れていかれたのだ。そんなすばらしい旅行も我々学生には「豚に真珠、猫に小判」というものであった。なにも身に付かず、二日酔いの朝の「イノダ」のコーヒーの方が身に付いているというような一ヶ月であった。
それが、二十歳過ぎの幼い学生にとっては贅沢そのものの時間であったということに気付くのはずーっと後のことなのだ。それは「自分はかってそれを見た」という記憶というような形になって現れるのだ。

かってその旅行で訪れた「慈光院」も再訪したことがある。学生の時の記憶はすでにないが、現在のその借景の状態は無残としかいいようがない。この圓通寺の借景も、洛北という開発地帯にあり、京都市には都市計画道路の計画があるとのこと、この素晴らしい借景の空間がいつまで存在するのか。
人間が作りだしたものである限り、人間がその存在を守れるもではないかと考えるのだが。

Posted by @ June 2, 2003 02:05 PM
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