竹内洋岳の道具 | [ BOOKS ] |
「初代 竹内洋岳に聞く」第十一章の「GII(ガッシャブルムII)へ持って行った道具」で、竹内は彼が登山に使っている道具類を詳細に語っている。
そこに語られる登山用具の数々の話し、非常に面白く読んだのだが、その最後に語られているのは、彼の登山における「道具論」なのだ。
……
新素材や、道具の導入に関してはさまざま意見があります。フェアじゃないとか。
大昔は無かったであろうヘッドランプは当り前に使うのに、電話がダメとか、GPS がダメとかって、なんでダメなのかというと、また変な話しで、じゃあ、いままで酸素を使っていたのを、あべこべに使わないで登るということはどうなんだというと、さぁ……っと悩むんです。
登山というのは、審判もいなくて、ルールブックもないスポーツなんです。
ルールがないからこそ、自分でルールを決めなければいけない。
審判がいないからこそ,私たちは、自分にフェアでなければならない。
……
自分の常識に照らし合わせるならば、私は何を使ってもいいんじゃないかと。使う、使わないという自分のルールを決める事が重要だと思います。
……
より困難なところを登るために新たな道具が作られてきたわけです。道具というのは、やっぱりその時代の要求に合わせて出てくる物ですから、これはとやかくあまり言う問題じゃないような気がするんです。
道具は何を使うのか、私たちは、これを使って登りますというのも、やっぱり見せるということがこれからの登山では重要なんじゃないか。道具ってそういうもんだと思います
その章の最後に、その道具類のイラスト(気に入らないけど……)が見開きで4頁ある。
各お道具を「登山家・竹内洋岳 公式ブログ」の記事にリンクしてみた。
内田樹は、自身のブログ「内田樹の研究室」のエントリー「東北論」でも、武道について語っている。
―どういうことですか、武道の意味みたいなのって。
武道というのは、危機的状況をどうやって生き延びるか、その能力を開発するためのプログラムですから。ルールがあるところでライバルと競争するためのものじゃない。危機を生き延びる力を養っている。
だからよく「どうして合気道では試合がないんですか?」って訊かれるけど、あるわけがない。試合があるのはスポーツでしょう? アリーナがあって、レフェリーがいて、ルールがあって、時間制限があって、何月何日何分試合開始って決まっていてやるのはスポーツ。
武道というのは、いつ、どこで何が起こるかわからないという条件で、そのときに生き延びるための心と体の使い方を学ぶものなんです。
竹内の「登山というのは、審判もいなくて、ルールブックもないスポーツなんです。」に呼応していると思うんだけど……。
玉井さん、どうもです。
竹内が「……自転車のようなものだ」というのは面白いですね。
道具って人間の能力を拡張するものであるという……事を例えるのに自転車は最適ですね。
ブログの「テクニカルギア」のカテゴリーを拾い出すというのは、わたしはまだしませんでした。
面白いですね。
たしか、どこかに竹内は書いていました
「登山の道具は人間の能力を拡大するという感じで、自転車のようなものだ」と
彼は東芝のダイナブックを使っているようだから ジョブズの言うったことなど知らないでしょうが
ぼくはその件りを読んでフフフと思ったのでした。