きづき / vol.18 March / 2013 | [ Mag , OM/VOLKS HAUS ] |
まるごと一冊、「パッシブデザインとOMソーラー」として奥村昭雄の多岐に及ぶ活動を特集している。
04 奥村昭雄の仕事
14 奥村昭雄を偲ぶ
22 OM誕生物語 ー前編ー
30 奥村家を訪ねる
35 奥村昭雄 残したい言葉
42 奥村昭雄/伝えたいこと
奥村昭雄を偲ぶ……ではなく「奥村昭雄を思い出す会」が開かれる。
桜も咲いている4月2日火曜日午後3時から6時、自由学園明日館(東京都豊島区西池袋2-31-3)にて行われる。
下記は、本誌に掲載されている私の奥村昭雄追悼文です。
海軍機関学校の奥村昭雄LANDship 秋山東一
奥村昭雄が、1945年終戦直前、最後の海軍機関学校生徒であったことを知る人は少ない。もう、戦う為の艦船を失った海軍の学校に彼はいたのだ。私は彼が藝大建築科の助教授として我々の教育の任についた時、それを知った。それ以来、私にとって奥村は大いなる尊敬の対象となったのだ。
奥村の建築家としての多才な才能の成果はいろいろ考えられるが、彼の最大の仕事はOMソーラーを作り出し、 日本の建築・住宅にパッシブソーラー・システムを導入したこと にあるであろう。その考案・開発を成したのみならず、それを広く世の中に普及させるべく、その為の組織を作り出し、その中心となって行動し活躍してきたのだ。 OMソーラーこそ奥村昭雄の最大の功績なのだ。私は機会ある毎に「OMソーラーはね、藝大の人が作ったんじゃないのよ。海軍機関学校の人が作ったのよ」と言っているのだ。
新建ハウジング+1/2月号に寄稿した「パッシブソーラーの原点」と同じ、奥村の海軍機関学校生徒の話だが、私にとって奥村に会って最初に感銘をうけた事であったのだ。