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IMPERIAL HOTEL

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フランク・ロイド・ライトの IMPERIAL HOTEL 帝国ホテルである。

昔……1967年までは日比谷公園の向かい側、今のホテルの場所にそれはあった。そして、この玄関ホールのみ愛知県の博物館明治村に移築されたのだ。

 ● ラスティックな帝国ホテル: alpshima

ずいぶんと古ぼけてしまっているが、この四切り鉛筆デッサン水彩画は私が描いたものだ。

1961年2月14日(ちょうど49年前だ……)という日付が記されている、私は高校3年生、その年の芸大の建築科の入学試験の為の練習をしていたのだ。

今では、建築科の入試には必須と思うが、日本のボザールである芸大の建築科の入試には、伝統的に「建築写生」なる試験があったのだ。

1960年夏、1961年冬、その頃、芸大受験の予備校であった阿佐谷美術学園が企画した夏季、冬季講習に参加していた。その時の建築写生が何枚かある。この帝国ホテル、ニコライ堂、安田講堂、根津神社、迎賓館、米国大使館……だ。

見るからに稚拙だが、今となっては18歳の時の絵は描けないのだ。ちょっと額なんぞに入れてみると、馬子にも衣装……、もっともらしく見えるのである。


この絵で初めて、製図板上の透視図と目で見える景色とは異なることを覚えたのだ。デッサン力は訓練で鍛えられるが、色彩の才は天性のもの……と教わったのは、ずっと後のことであった。

Posted by 秋山東一 @ February 16, 2010 12:00 AM
Comments

飛曇荘さん、どうもです。
皆さん、達者な方々ばかりの前に、昔の事とは言え、自分の絵をさらすのは恥ずかしい限りです。まぁ、そんな時代があったことを……懐かしく、もう、日比谷にこの風景はないのですから……これも歴史です。

Posted by: 秋山東一 @ February 21, 2010 08:43 PM

senrinoinkyo さん、どうもです。
おほめののお言葉、ありがとうございます。ずっと紙筒の中に入っておりました。最近、額に入れてみましたが、汚れていますが、さほど劣化していないように思えます。

Posted by: 秋山東一 @ February 21, 2010 08:38 PM

こんな絵を描かれていたとは……。
恥ずかしくて、山だよりが出しにくくなります……。(B)

すがすがしい絵ですね。
目標を持って真剣に見つめる少年時代の秋山さんが思われます。(A)

Posted by: 飛曇荘 @ February 21, 2010 07:31 PM

素晴らしい!水彩だと光で色があせるとまずいのですがどうしてますか?

Posted by: senrinoinkyo @ February 21, 2010 09:37 AM

alpshima さん、どうもです。
恥ずかしながら……、ブログ友、alpshima さんはじめ、絵筆使い手の皆さんが数多おられるところに恥ずかしい限りです。まぁ、未熟な少年時代の事、平にお許しを……というところです。
もう、50年前となると、この絵を描いた時、場所も歴史上の事象となっているように思います。スケッチ中の画板を後から覗き込む外人宿泊客の笑顔が昨日のように思い出されます。

Posted by: 秋山東一 @ February 16, 2010 10:17 AM

早々のご登場に感激です。18歳のデッサンとは思えないですね。日比谷通りからのパノラマは日比谷という響きにぴったりでした。1961年は東京サイクリングセンターに通い出した年でした。alpshima

Posted by: alpshima @ February 16, 2010 09:19 AM

ShopMaster さん、どうもです。
私にも18歳なんて時があって、真面目にデッサンした時代があったのです。
イタリア映画でしたが……人生に失敗した男が、ローマの名建築を写生している建築学生のスケッチブックを、それを描いていたインク瓶を、持っていたキイホルダーでワザと倒して、そのスケッチを台無しにしてしまう……。昔は自分も……と、若さに嫉妬している男のシーンを思い出しました。

Posted by: 秋山東一 @ February 16, 2010 12:24 AM

若々しくて素晴らしいデッサンですね。1961年ですか・・・。その年の3月に私は誕生いたしました。すなわち、この時にはまだこの世にいなかったことになります。歴史を感じますです、ハイ・・・。

Posted by: ShopMaster @ February 15, 2010 10:30 PM