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羽田飛行場 /1939

ALBUM , Place , TRANSPORT

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父、秋山喜世志のアルバムに1939年12月20日の羽田飛行場での写真が残されている。
飛行機の全貌を撮ろうとしていないのだが、二機の民間の飛行機が撮られている。

三日後の12月23日にイタリアに親善飛行に飛び立つ「大和号」を撮影にいつたものと思われる。
「大和号」は訪伊飛行を無事終え、翌年1940年1月23日に出発地、羽田に帰着している。

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この「大和号」は、その年1939年(昭和14年)の8月26日から10月20日、55日間で世界一周を果たした「ニッポン号」と同型機である。上の写真に写っているのは、若き日の父(28才)である。

この機体は、太平洋戦争で活躍する三菱海軍九六式陸上攻撃機である。

これはついでに撮った、中島飛行機のAT-2旅客機だ。
ナポレオンフィッシュのように操縦席が出っ張っているのが特長だ。これは日本航空の所属、そのころ飛行機の名前に神社の名前をつけていたとのこと、この機は「氷川神社」から「氷川号」だ。

Posted by 秋山東一 @ January 25, 2005 08:37 AM
Comments

珍しい写真ですね。ところで氷川号の窓ガラスです。百式司偵の流線型窓ガラスでは、夜間飛行の時に計器の照明光が反射して外が見にくかった、と聞きました。その逆をねらったのかもしれません。

Posted by: YF @ February 10, 2005 10:58 PM

いのうえさん、こんにちは。
子供のころから、この「氷川号」の奇妙な操縦席部分が気になっていたのです。この飛行機が中島飛行機のAT-2であることを、偶然、最近知ったものですから、今回、このエントリーしてみようという気になりました。
オーバーハングしたガラス窓は直射日光を防ぐというような理由かと思いますが、飛行場の管制塔などにはよく見かけました。
その展望室も、同じような理由かも知れませんね。

Posted by: 秋山東一 @ January 26, 2005 07:02 AM

マンガ家の赤塚不二夫さんが 以前住んでいた下落合と中井の間にある「ひとみマンション」は外付けの螺旋階段がかっこいいのですが、屋上にこの「氷川号」の操縦席とそっくりな展望室(?)があります。

Posted by: いのうえ @ January 25, 2005 11:49 PM