僕の叔父さん 網野善彦 | [ BOOKS ] |
新潟で、玉井さんが聞いてきた。「秋山さん、中沢新一って知ってます?」「.......あの宗教学者の?」「えぇ、中沢新一って網野善彦の甥で、最近[僕の叔父さん網野善彦]って本がでたのです。なかなかいいですよ。」「へぇ。面白そうですね。.......」
早速、手に入れて読んだ。とても面白かった。
網野善彦の本はそれなりに読んでいるが、中沢新一の本は知ってはいても読んではいなかった。もちろん、網野善彦が叔父さんなんてことは知らなかった。
網野史学といわれる日本歴史観、それの形成を自分の身近に見ながら、その時間軸にそって総括し、その全体像を紹介する入門書のように読めた。
話は中沢新一の父、中沢厚の妹、かれにとっては叔母の結婚相手として網野善彦が登場するところから始る。その時5才の中沢新一が見た網野善彦が、中沢家の一員として民族学者であった父、製鉄技術史家の父の弟、網野善彦と議論し論争していく世界が描かれていく。その脇にいた中沢新一は長じてその場に参加し、網野史学の形成の目撃者であり共同者でもあるのだ。
「蒙古襲来」から「無縁・公界・楽」、そして天皇制に踏み込む。その網野が作り出した歴史観を形成するそのバックボーンに中沢家という、歴史的に自由な家族環境があるのだ。
今、彼がそれを読めといった意味が分かるような気がする。玉井さんは、中沢新一の「コミュニストの子供」としての話を、自身の話しとして重ね合わせておられるのではないかと想像した。
ここ新潟において彼の祖父も、数年前お亡くなりになった父上も「農民運動」の人であった。玉井さんが「コミュニストの子供」として育ったことは、玉井さんという人を作り出した大きな要素であると考えている。社会的な束縛から自由に発想し行動すること、常に弱い側に立っている.....人を作っているのだ。
亀田という場所、田圃の中の2000坪を超すという玉井家の敷地は、今、玉井さんの計画の元に小さな街として再生されようとしている。そこにあった多くの植木・樹木を活かし、明治時代の煉瓦塀を残した街区を案内していただいた。
ここ、この場所に二代にわたって農民運動を指導した人、コミュニストがいたということを想像していた。そして、その「コミュニストの子供」に案内していただいていることを面白く思った。
玉井さんと秋山さんのエントリーを読んで僕も読みました。
おもしろくてすぐに読んでしまったのだけれども
なかなか文章に出来なくてエントリー出来ませんでした。
なんとか、やっと書きあげましたので
TBさせていただきました。
とても良い本だと思います。
追伸
ぼくが秋山さんに知っておられるかとおたずねしたのは「権藤成卿」です。ぼくの二人の祖父が共通する師としていた人です。googleで検索したら156件ありましたが、農業にもとづく共同体を中心とする国家を理想とする思想家で、一般には右翼の思想的なよりどころだったとされているけれど、それだけではないと思っています。ある意味ではむしろコミュニストの子供であるとぼくは思います。
その思想を理解できたときに、祖父たちや父のことを書きたいとおもいます。
網野+中沢から私と祖父や父にまでふれていただいてありがとうございました。
自分の祖父たちや父について、私自身が疑問に思っていたことが、このごろになって理解できたところがあります。秋山さんが言われたように、自分の祖父や父について発掘し記録に残しておくことは、必要なことなのかもしれないですね。
ところで、「中沢新一を知っていますか?」なんて、失礼なことは、決して秋山さんにうかがいませんよ。「網野善彦が中沢新一の叔父さんだったって、ご存知ですか?」という質問はしたかもしれませんけど。ぼくも、この本を読むまでは、中沢新一はもっと頭デッカチの柔弱なヒトかと思っていたので、その点でも中沢を見直しました。
Posted by: 玉井一匡 @ December 4, 2004 11:17 PM
玉井さんが書いておられるが、「ぼくの叔父さん」ってのは、ジャック・タチのフランス映画だった。その叔父さんが乗っているのが原動機付自転車ソレックスだった。あの映画で初めて知ったのであった。
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000071.html