040312

画 家

Art/Design , Event

グレイの硬質な装丁の本をお贈りいただいた。

先輩にして画家の濱坂銕也さんの本だ。
表紙には小さく画家とある。「画」はゴシック「家」は明朝体という「画家」だ。画家であると同時に、それは画(え)と家(いえ)を意味するようだ。

それは写真集だった。

画家・濱坂銕也氏の吉祥寺の家、その庭の緑、そしてアトリエ、彼の作品、几帳面に整理された壁の文具、キャンバス、庭の緑の中の彼の作品、そんな写真集なのだ。画家 / 濱坂銕也遺作集なのだ。

hamasaka_1.jpg

濱坂銕也氏の絵を、そしてなによりも彼の棲まっていた家を見てゆくと、彼は、一体、何を「見て」いたのか、そのヒントがひそんでいるような気がする。 部屋の隅に転がった、木片の小さなネジ穴の中や、庭の、赤い花の根の埋まった土の中や…。 そして、それらを「見て」もらいたいために、「写真」という行為で提示することも、たいへん意義深いことだと感じている。

こんな人が、       
こんな家に住んで、      
こんな絵を描いていた。
    
立花英久(バーナーブロス)

私は画家としての彼を知らなかった。
そこにある濱坂銕也氏の絵、それは何か青い架空の風景。ロードオブザリングの情景のような風景がそこにある。

彼のいつもの真摯な目、いつもの穏やかな言葉、それを思い出した。


濱坂銕也氏とは、1962年、私が芸大建築科の一年生の時、建築科の教室を訪ねてこられた時お会いした。二人の受験生をお連れになり、彼らの受験に役立つことを調べにこられたのだ。
そんな偶然のような出会いから、いつのまにか年賀状のやりとりになってしまったお付き合いであった。

2000年の年賀のご返事、その時、お亡くなりになったことを知ったのだった。

■プロフィール

濱坂銕也 はまさか・てつや
  
1936年 兵庫県生まれ
1951年 武蔵野市立第一中学校卒業
1954年 教育大付属駒場高校卒業
1959年 東京芸術大学美術学部油絵科卒業
1961年 3人展
1963年 多摩工業高校美術講師(〜1964年),国文寺第一中学校美術講師(〜1969年)
      府中幼稚園児童画教室(〜1994年)
1965年 個展/銀座櫟画廊,戯画会展/新宿椿近代画廊
1967年 京子と結婚,本多児童画教室(〜71年)
1969年 長男達朗誕生,西荻楽院美術講師(〜1998年)
1971年 長女陶子誕生
1973年 四つの風景展/銀座画廊ノバ
1975年 次女尚子誕生,金子光晴とその仲間の画展/ギャラリーワタリ
1976年 個展/銀座櫟画廊
1978年 個展/銀座櫟画廊
1999年 9月14日永眠


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その展覧会が開かれている。

バーナーブロス「画家」
2004年2月20日(金)〜3月14日(日)11:00~20:00
アート・ショップ/ナデイッフ
東京都渋谷区神宮前4-9-8カソレール原宿B1

http://www.nadif.com

Posted by @ March 12, 2004 05:02 PM
Comments

お手紙をありがとうございました。
展覧会も見にいらして下さいましてありがとうございます。
「画家」をとても暖かい目で見ていだだけまして、ありがとうございます。
 芸術新潮の4月号に「画家」の展覧会の事が載っておりました。
 秋山さんからお年賀状を頂戴いたしました折りにいつもとても
親しみをこめて建築科の後輩だと浜坂が話しておりました。
秋山さんのお手紙で出会いの事がわかりました。
 お手紙のお礼を申し上げるのが遅くなりまして申し訳ございません。

Posted by: 浜坂京子 @ April 11, 2004 09:32 PM

本日13日午後、地下鉄表参道からアート・ショップ/ナデイッフにでかけてきました。

入口と出口のある小さな空間が会場でありました。その中には濱坂銕也氏のアトリエにあった、彼が集めたたくさんのオブジェクト、釘、クリップ、得体のしれない物達、彼が作ったたくさんの仕掛け、不思議な機構が展示されていました。

私は、初めて彼が何を考えていたのか分かるような気がしました。

Posted by: 秋山東一 @ March 13, 2004 02:34 PM