THE CIRCUIT FOR KICHIJOJI | [ ABOUT , Architecture ] |
ブラタモリ「#94 東京・吉祥寺」を視た。私にとって昔から親しき場所……、それ以上になるほどだったのである。
番組の最後に出てきたお寺さん、そこがディベロッパーになったような計画を半世紀前に計画していたのである。
この小汚い図面……、1968年に、私が藝大建築科を卒業した時の卒業制作「THE CIRCUIT FOR KICHIJOJI」である。これで、やっとこ藝大から逃れることができた……のである。
あの頃の卒業設計のトレンドはアーバンデザイン、都市的なスケールで建築を考えるのが普通だったのである。まだ、高架にもなっていなかった中央線を高架化し、井の頭公園のレベルを引き込んでサンクンした広場を作り、その四周に都市施設を高層化しようとした。
高架になった中央線の下にはバスターミナルを組込み、そのレベルで全体的に車の駐車、荷卸し等の処理を行った。
車が建物下を一周できるという形から CIRCUIT と呼んでみたのだ。
その頃、私の頭の中は、ピーター・スミッソン、セドリック・プライス、ジェームス・スターリングで一杯だ。とにかくカッコいいことをやりたくてやりたくてだったのだ。
卒業制作(卒制と云っていたな)講評の時、吉村順三は「この計画は、条里制(ではなく江戸時代のものであったが’)のグリッドと現代を調和させようという計画なんだね。」と言って、ちょっと褒めてくれた。
私は、今でも、独りよがりの若者の生意気な絵を、少しでもポジティブな方向で評価しようとしてくれた先生に、今でも感謝している。
……パース狂っているし。
まぁ、若気の至り……許してください。
追記 171224
あの頃、A0判900×1200のケント紙にインキング、そんな図面を15枚から20枚……というのが卒業制作であったのだ。
それを全体として合理化(手抜きともいう……)しようという意図の元、切り貼りしたり墨入れをマジックインクでやったり、まぁ、今考えても大変であったのだ。