東一のアルバム | [ ABOUT , ALBUM ] |
祖父からの写真屋の家系……、従って沢山の写真アルバムが……というよりも、膨大な量のスクラップブックが残されている。
その中で、少々異彩を放つのが「東一のアルバム」と表書きされたスクラップブックだ。
1943年、私が生まれてから程なく、父が私の写真専用に作ったものだ。
V II . の意味は聞き損ねたが、父のアルバムの識別記号なのであろう。父のレンダリングの腕はなかなか……、きちんとデザインされているのだ。
中味は、1943年、一家が八王子に引越してから以降の私と母を撮った写真だ。父母が長男である私の成長を中心に生活していることが分かる。それと同時に、父母の八王子という未知の環境への好奇心が伺える写真なのだ。
18.6.5(1943(昭和18)年6月5日)とある私の写真、大人しくしていないので椅子に縛りつけて撮った……聞いている。
父が「歯が一本 頭を出す。」と図解入りで書いている。
この日は、山本五十六元帥国葬の日……、幸せな私たち一家にも戦争は日に日に近くなってきている。
下に青い鉛筆で「誠子 20.4.5 」とあるのは、1944(昭和19)年9月に生まれた妹の記録を、父不在の時、母が記したものである。
まぁ、向う側にいる父母を見ているのではなくて、カメラという機械を見つめているような気がする。覚えていないけど……。
下の青鉛筆は同じく母による、2年と2日違いの妹の記録である。
iGa さん、どうもです。……おてやわらかに。
Posted by: 秋山東一 @ February 18, 2012 11:12 AM私もこの写真を見る度、鼻の下辺りに悪戯描きを加えたくなる衝動を抑えられませんです。
Posted by: iGa @ February 18, 2012 10:33 AMalpshima さん、どうもです。
やぁ、恥ずかしい……、人間って、あまり進化しませんですね。
よくぞ、これほど素晴らしい記録が・・・。
それにしても、幼き時代と今がまったく変わらぬ東一さんに笑いました。
そらさん、どうもです。
やっぱり第一子は珍しいのか、私は生まれたその日からの写真があります。しかし、二年後、1944(昭和19)年の9月に生まれた妹の写真は皆無……、です。妹が生まれた4ヶ月後、1945(昭和20)年の2月には父は満映に出向、帰国するのは8年後でした。
素敵なアルバムですねえ。
乳歯って…下の歯が初めに出てくるのがかわいいです。
それにしても面影がありますね。
玉井さん、どうもです。
時々、父と同じような事……をやっている自分を発見し、……不思議な感じがしています。
父上のaki's STOCKTAKINGですね
脈々たる血を感じます