080731

敵こそ、我が友 /MON MEILLEUR ENNEMI

Cinema

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Klaus Barbie クラウス・バルビー (1913~1991) はナチス・ドイツ親衛隊中尉として、第2次大戦中のフランス・ヴィシー政権下のリヨン市の治安責任者として対独抵抗運動を鎮圧する任務に就いていた。夥しい数のレジスタンス運動の参加者を拷問し殺害し、強制収容所への移送を指揮した。レジスタンス指導者 Jean Moulin ジャン・ムーランを逮捕し、拷問し死に至らしめた。

「リヨンの屠殺者 (Bucher of Lyon) 」と呼ばれたその男は、戦後、戦犯として裁かれることもなく生き延びていった。

戦後、東西冷戦の始まりとともに、1947年、米陸軍情報部はてっとりばやく、反共の為のスパイ活動の専門家としてバルビーを重用した。仏政府からの戦犯としての引渡し要求にたいして拒否し続け、1951年にはバチカンの手引きによって、クラウス・アルトマンの名で南米ボリビアに脱出させた。アルトマンはボリビア軍事政権の顧問格として治安対策、反政府対策に活躍、兵器取引によって億万長者となった。チェ・ゲバラのゲリラ戦を封じ込め、その殺害計画にも関与していたと言われている。
1982年ボリビア軍事政権が倒れ、バルビーは仏国に移送され、1987年に「人道に対する罪」で終身刑を宣告され。1991年に刑務所内で病死した。

 ● 映画『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~』公式サイト

1967年生まれのアカデミー賞受賞監督 Kevin Macdonald ケヴィン・マクドナルド監督による最新ドキュメンタリー映画だ。アンデス山脈に「第四帝国」創設を夢見たナチス残党の軌跡を、それを活かし続けた国家の影の姿を白日の下にさら出す映画なのだ。今もって、その影の力は生き延びているのだ。

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映画を見ながら、この20世紀が、空間的にも時間的にも、その全てが一つながりの歴史として理解できるのは何故なのだろうかと考えた。たくさんの証言、たくさんの言い訳、そして映像に記録されたドキュメント.......チェ・ゲバラが吼え、アンドレ・マルローが吼える。そして、クラウス・バルビーがフランス語でささやく。..........全ては言葉の力なのではないかと考えた。

ここ..........では誰も自分の言葉に責任をとらぬまま.......たかだか三年前の言葉も忘れられようとしている........のではないか。


追記 080803

小池一三さんもご覧になったようだ。「小池一三の週一回」にエントリーされている。
 ● 小池一三の週一回 : 映画『敵こそ、わが友』


Posted by 秋山東一 @ July 31, 2008 11:43 AM
Comments

kass さん、どうもです。
ちょっと、京橋で打合せの帰り.......見てしまいました。
人によって違うとは思いますが、私くらいの世代と kass さんくらいの若い世代と違うのは、私たち世代の方がポリティカルな世界や、気分にずっと近いということかも知れません。.........別に意外でもなんでもないのです。

Posted by: 秋山東一 @ August 3, 2008 08:37 PM

akiさんがこの映画を見ていた、とは意外です。私も目をつけていたんですよ。北関東では見られないのですが…

このエントリーを読む限り日本人では到底作れなそうな映画ですね。ヒステリーな否定かヒステリーな謝罪論しか出てきませんから…

Posted by: kass @ August 3, 2008 06:33 PM