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鯨尺の法則

BOOKS , THINK

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鯨尺といえば、今は亡き母のお道具の鯨尺である。

竹製の長さ75cmほど、鯨尺とメーターの併用だ。しかし、母が和服を着たのを見たこともないし、洋裁をしているのは見ても和裁をしているのは見たことはない。この鯨尺なるもの、私にとって座禅における錫杖のようなものという記憶しかない。母は、勉学に励めと、これで私を叩くのである。

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鯨尺の法則
日本の暮らしが生んだかたち

著者: 長町美和子

ISBN: 4899771355
出版: ラトルズ

定価: 1,890-円(+税)

ところで、「鯨尺の法則」である。

何か情緒に訴えるようにしか書かれかねない「日本的」なる、お道具、その知恵、工夫の数々を理論的に分析解釈した好著とみた。
のっけからの着物と鯨尺の話、反物の寸法から、着物の寸法、そしてそれを収納する箪笥の寸法に至るまで、その全てが体系的なものなのである。全てにわたってコンパクトにい暮らす日本の知恵、工夫、それら日本のデザインの原点が語られていく。

着物 紙 座蒲団 雲錦 屏風 入れ子 乱れ箱 縁側 棚 足袋 畳 簾戸 葛籠 行李 風呂敷 水 香 床の間 掛け軸 扇子 弁当箱 二月堂 火鉢 障子

あとがきにある、「さまざまに使い回しがきく、ぱたぱたと形が変化する、入れ替えて使える、畳める、丸められる、重ねられる........、日本の住まいや道具には、コンパクトに暮らしを納める知恵がたくさん詰まっている。..........」、そんな知恵を再確認したいと思うのだ。

Posted by 秋山東一 @ March 6, 2006 06:06 AM
Comments

伊礼さん、どうもです。
なかなか、こんな風な切り口で「日本的」なるものを書いた本はなかったんじゃないでしょうか。とてもすてきな本です。
私の目なんてつまらないものですが、美人だけには目がありません。「美人」がお書きになったとなれば、それだけでもすてきな本に決まっています。

Posted by: 秋山東一 @ March 8, 2006 10:05 AM

長町さんは飲み友達と言えます。
いい本らしいですね・・・まだ読んでないのですが。
長町さんというのは「住宅特集」に思いっきり、軽い文体を持ち込んだ方です。
本人はおそるおそる、裏で固い文章も準備してぶつけてみたら
すんなりOKだったようです。
それが、小泉誠さんの仕事に関する連載でした。

秋山さんの目でも大丈夫とあれば、なかなかのモンです・・・。
是非、読ませていただきます(笑)。
ちなみに・・・長町さん、美人です。

Posted by: 伊礼智 @ March 7, 2006 10:25 PM

確かに尺幅は扱いやすいです。私はその倍の2尺幅の織機も持っていて、ショール等はこっちを使うのですが、織りやすさ、体の疲れ具合、断然違います。
たぶん、和裁の人の扱いやすさも、この幅がいいんではないでしょうか。

秋山さんのお母上様は着物をお召しにならなかったのですね。私の母も「もちろん」着ませんが、秋山さんと私の歳の差を考えると、ずいぶんとハイカラなお母様でいらっしゃいますねー。
以前、産まれたてのときの写真アップされたでしょう。あの当時、病院で出産というのも、時代の最先端だったのではって拝見してました。(東京では普通のこと????)

Posted by: some ori @ March 7, 2006 06:29 PM

コメントありがとうございます。
少しだけ言葉足らずだったのですが(^\^;;、息子拳法やっているので痛みには強いのです。ちなみに昨日は木刀にグローブつけたので突いてもらってました(汗
ホメ育ては家庭、会社とわず重要ですね。常々忘れず実践したいと思っています。

Posted by: アプレット @ March 7, 2006 02:19 PM

some ori さん、どうもです。
「ものさし」という言葉も、なんとなくクラシックでいいですね。
お聞きしたかったことですが、反物の幅というのは、作る側の都合、織る人の肩幅の寸法で決まってきたのではないかという記述があります。これって製図する時にも「肩の幅で.考える....」と言われていたこととの類似を感じます。

Posted by: 秋山東一 @ March 7, 2006 08:29 AM

このものさし、日常に使っています。仕事柄ですが、、、
20代後半で初めて目にし、30すぎて日々のものになりました。なんか、体には確かに合ってるように思います。
お札の横の長さって、だいたい4寸なんですよね。4寸って親指と人差し指をL字にしたときの長さです。その倍の8寸が女物の帯の幅です。
ちなみに曲尺だと千円札の横が5寸、縦が2寸5分ぴったりらしいです。

Posted by: some ori @ March 7, 2006 02:38 AM

アプレットさん、はじめまして。↓の秋山さんのコメントに、私も同感です。私は鯨尺で鍛えられているというより、怯えて萎縮してしまいました。自分が子どもを育てて思うのですが、長期的には、叱るより、褒めるほうが効果があると思います。マジです。

Posted by: わきた・けんいち @ March 6, 2006 11:37 PM

neon さん、こんにちは。
この本に、その一つ一つの言葉が文章と写真で語られています。その写真の全てが、東京の一軒のお家での取材だそうです。すばらしいお宅ですね。

Posted by: 秋山東一 @ March 6, 2006 11:37 PM

アプレット さん、こんにちは。
奥様にお伝えしなければ、鯨尺で叱っても効果ありませんよ。これは鯨尺で鍛えられた本人が言っているのですから、間違いありません。

Posted by: 秋山東一 @ March 6, 2006 11:28 PM

ああ、好い言葉が並んでいますね。。どれも響きが好くて、そして何故か手作業、指のしぐさなどを想起させられます。最近根津でも古い家の解体に出くわすことが多いのですが、そんなときここに並べられた言葉のものたちが運び出されんとしているのを目にします。柳行李が出てきたときは、思わず声をかけそうになりました。

Posted by: neon @ March 6, 2006 09:19 PM

鯨尺、懐かしいですね。
へらなど和裁の道具って独特のデザイン感があるような紀がします。
ちなみに、鯨尺。
内の奥さんは、もっぱら息子叱るのに使ってますが。。
(息子曰く、プラスチック物差のより痛くないそう(笑)

Posted by: アプレット @ March 6, 2006 02:14 PM

わきた さん、今晩は。
先日は失礼いたしました。なんとも、出放題で、困惑されたのではないかと思っております。あれに懲りず、よろしくお願いいたします。
この本をエントリーしなくちゃと考えていたのですが、母の鯨尺の話から始めたのは、先日の傳八での わきた さんとの話があったからです。
母は私に「親」という漢字を教えるのに「立 たつ」「木 きぃ」「見 みる」と教えてくれました。今でも「親」を書く時。「たつ きぃ みる」と鯨尺を思い出します。

Posted by: 秋山東一 @ March 5, 2006 11:52 PM

秋山さん、こんばんは。このまえはありがとうございました。さて、あの晩に、たしか「母」に関するお話しをいたしましたですよね。お互い、厳しい母を持ってしまった…というやつ。「母は、勉学に励めと、これで私を叩くのである。」とは、私のことでもあります。私の鯨尺思い出。幼稚園に入るずっと前に、母が和裁をしている横で平仮名の練習をさせられるわけです。大きな升目のはいった「こくごノート」に、名前を書けというのです。でもね、どうしても「けんいち」と「けんいさ」が混乱してしまうのですよ。鏡文字というやつですね。それから、「ん」の「~」な感じのひらひらは1回でよいのに、どうしても2回ひらひらを書いてしまうのですね。すると、この鯨尺がとんでくるのですよ。こわいよ~。鯨尺の辛い・悲しい・痛い鯨尺の思い出、まだまだあります。「母」という者に対する話し、こんどまたお会いしたときにでもさせてください。永六輔は鯨弱を守ろうとしたけれど、鯨尺で辛い・悲しい・痛い思いをした人もいるのだ。

ところで、解体する古い建具は建具を保存しておくと、他の家でも使うことができるということで、大切に保存している方がいましたが、それは「全てが体系的なもの」ということと関係しているのですね。

Posted by: わきた・けんいち @ March 5, 2006 11:31 PM