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水無瀬の町家

Architecture , Google Earth , Hachioji

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「水無瀬の町家」は建築家・坂本一成氏の仕事だ。

東事務所のスタッフだった時代、1971年に雑誌で見たのだった。その頃の「打ち放しコンクリート」は「やりっ放しコンクリート」という風だったが、その荒々しさに親近感を覚え、スペースフレーム風のスティールの階段(アースキンのヨットの事務所にあった物のレプリカ)の巧みさにも感心したものであった。

その住宅の場所は八王子市内のどこか......特に「水無瀬」という地名はないが、西八王子近く陣馬街道が南浅川を渡る「水無瀬橋」の近くであろうと想像していたのだ。

武蔵美で坂本一成氏の生徒であり、彼の仕事に詳しい河さんに聞いても、「水無瀬の町家」は見たこと行ったこともないとのことだ。
私と同じく、八王子在住の iGa さんに聞けば.......ここじゃないかい.....と Google Earth の座標データをメールで下さったのだ。

35°39'42.15"N 139°18'40.70"E........。

さてさて、そうなのである。検索名人の iGa さんに抜かりはない........難なくゲットなのである。

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そして、早速行ってみたのである。

その家は建てられたそのまま(と思う)、コンクリートやりっ放し銀ペイント塗りであった。軒低く道路面のコントロールされた立面、その後の家にも登場する不思議なバットレス風の出っ張り(隣地との空きを閉めるという機能か)がある。
右隣の家は昔の街道筋風、きっと、そんな街並みに「町家」として構想されたのであろう。

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私は坂本一成氏に面識はないが、私の周辺における武蔵美出身の建築家諸公、先の河氏はじめ尚建築工房の佐賀井氏、その他諸々、その多くが氏の生徒なのである。
坂本氏は立川高校から東工大だが、高校では私より一級下であると思う。

KAZUNARI SAKAMOTO ARCHITECTURAL LABORATORY


追記 070312

fuRu さんこと古川さんも武蔵美出身の建築家だが、世代が若いので坂本ゼミ出身とかではないんだろうと想像していたが、かろうじて「図学」なる授業を受けたことがあり、彼が住宅設計に目覚めたのは坂本先生の影響であることを吐露している。
土曜日、この「水無瀬の町家」を訪れ、ブログ「af_blog」にレポートされている。

af_blog: 水無瀬の町家

この「水無瀬の町家」の周辺状況もきちんとおさえられた写真がのせられている。


追記 070313

この「水無瀬の町家」の位置を Google Earth で探した「検索大魔王 iGa」こと五十嵐さんが、続いて、同じ坂本氏の「散田の家」を探し出した。彼の Google Earth による位置検索の手法を、彼のブログ「MADCONNECTION」でエントリーされている。

MADCONNECTION: 手掛かりを求めて


追記 070414

武蔵美坂本ゼミ出身の佐賀井君を案内して「水無瀬の町家」を再訪、周辺を含めた写真を撮った。

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Posted by 秋山東一 @ March 8, 2007 06:07 AM
Comments

東京町家さん、どうもです。
コメント欄に書き込みました。よろしくお願いいたします。

Posted by: 秋山東一 @ April 29, 2008 12:54 PM

秋山さん、ご無沙汰しています。
じつはこの水無瀬の町家のうらにANNEXが完成し、5月6日午後1時から御招待者だけの小さな見学会を開催する事になりました。
住まい手さんの特別な計らいで、現住の水無瀬の町家内部も見学できます。私は打合せで室内にお邪魔していますが、とてもプロポーションが良く、あの時代の力を感じる空間です。また、超軽やかなイッセイ階段は想像以上に軽快で空間に似合っています。
よろしかったら参加しませんか?
私のブログのコメントに非公開でメールアドレスと名前を書いていただければ、ご案内をメールでお送りします。

Posted by: 東京町家 @ April 29, 2008 11:54 AM

土曜日に見てきました。
西八王子の駅からそれほど遠くないですね。
散田の家は駅から遠かったので今回はパスしました。
TBさせていただきます。

Posted by: fuRu @ March 11, 2007 09:29 PM

忘れてました。祖師ケ谷大蔵の家を竣工間際に見せてもらいました。岩岡さんの住宅を見に大磯に行った時、坂田山附の家も見ました。
打ち放しに銀ペンキと言えば渡辺洋次を思い出しますが、谷口吉郎1935年の自邸も縦羽目に銀ペンキらしい。吹き抜け廻りも階高を下げれば少し似てる。

Posted by: kawa @ March 11, 2007 12:06 PM

furu さん、どうもです。
iGa さんのおかげで、皆さんの先生の初期作品二点の位置が判明、地図にその二点をプロットしていらっしゃいませ。

Posted by: 秋山東一 @ March 9, 2007 06:13 PM

iGa さん、どうもです。
ま、高尾に天狗はつきものですから、どうぞ天狗におなり遊ばせ。
「検索博士」なんて称号じゃだめだろうなぁ、「検索王」にして「検索帝」、それでも足りないってぇなら「検索神 iGa」ってえのではどうだ。
八王子の西八界隈は、坂本先生の生徒達の聖地ということになるんじゃないかな。

Posted by: 秋山東一 @ March 9, 2007 06:07 PM

ふ、ふ、ふ、ピンポイントでした。ん〜自分が天狗になりそうで怖い。

アクセスは甲州街道を西八王子から高尾方面に向かって、並木町交差点を左折、中央線との立体交差下を潜り抜け、次の信号を左折(角にモスバーガー)してから、100m位先を左折、50m位先を左折して50m先の左側にあります。北側道路に面して平屋別棟が増築されていて母屋は二階の一部だけが見えるくらい。車だったらモスバーガーの駐車場に停めれば、駐車場から南面が見えるかも、40年近く経っているけれど建物は傷んではいない。但しサッシュはアルミに替えられている様子。(原設計は立面図の建具框見付巾からすると木製だと思うが、、?)

Posted by: iGa @ March 9, 2007 05:10 PM

今週末に、八王子に行くので
ぜひ足を伸ばしてみたいと思います。
私が大学の2年から3年になるときに
坂本先生は東工大に行ってしまわれました。
武蔵美で設計課題を見てもらった最後の世代となります。

Posted by: fuRu @ March 9, 2007 11:55 AM

「散田の家」はたぶんこの辺りだと思うけれど、、、昔は万葉けやき通り(高尾駅南口と西八王子南口を結ぶ通りをそう呼ぶらしい)からも南側立面が見えたんだけどね。
35°39'4.66"N  139°18'17.44"E
後で万葉けやき通りのGSとクロネコに行く用事があるから確かめてみよう。
因みに八王子には散田(さんだ)と云う地名には二つありました(過去形です)。もう一つは三田(さんだ)で同じ万葉けやき通り沿いで旧南多摩郡浅川町に属していた地域は三田と云いました。現在の東浅川町が三田にあたります。

Posted by: iGa @ March 9, 2007 10:25 AM

先日は、折角お電話を頂きながら、場所も存じませんで失礼しました。house-SAは先生に見せて頂きました。近所を通る度に代田の町家は前と後ろを見て来ました。実際に拝見したのは2軒だけです。
ちょっと不勉強でした。
折角IGA様のグーグルアースもある事ですし、暇が出来たら、前の道路に立って軒の高さだけでもカクニンして来たいと思います。

Posted by: kawa @ March 9, 2007 01:13 AM

伊礼さん、どうもです。
あの頃の住宅を「自閉的」と括ろうとしているのは、「諸学の王(とおっしゃっておられる)たる史学」のF森教授です。氏の「原・現代住宅住宅再見」の中で、東さんの「塔の家」で、まぁ、そんなことで括れないのをしぶしぶ認めておられるような気がします。
まぁ、「水無瀬の町家」で「町家」となのったのは、坂本氏にとってそれほどの動機はないのではないかと思います。この旧街道沿い(と思う)の街並みに違和感のない形で現代的な住宅を押し込んで「町家」と名乗ったという気がします。今もって残っている隣の軒低い家、そんな家が軒を連ねる街並みが、あの頃はまだ残っていたのではないかと思います。

Posted by: 秋山東一 @ March 8, 2007 09:30 PM

坂本さんの代田の町家は決して自閉的ではなく、
町家と呼ぶにふさわしい、町との関わりを制御するような佇まいでした。
まるで、沖縄のヒンプンを思わせる装置があって、都市の中の町家の
好例だったと思います。
坂本さんが「町家」という概念をどう捉えていたか・・・おさらいしてみたいですね。

Posted by: 伊礼智 @ March 8, 2007 08:57 PM

iGa さん、どうもです。
藤森照信の「TOTO通信」の記事は「原・現代住宅住宅再見 3」に載っていますね。
あの頃の住宅を「自閉」というような概念に括ろうとして、なんだか薄い......感じの論旨です。建築専門誌に連載された記事を集めた「昭和住宅物語」とはえらい違い、やっぱり一般紙っぽい「TOTO通信」では腰の入れ方が違うのでありましょう.......というわけで立ち読みです。
ところで、「散田の家」の位置を特定することなんて、iGa さんにかかれば「お茶の子さいさい」でありましょう。

Posted by: 秋山東一 @ March 8, 2007 10:57 AM

60年代の終わり頃、中央線の西八王子と当時は未だ残っていて京王多摩御陵線跡の土手の中間位の畑にぽつねんと一軒家が建ち上がってきた。総二階の白いモルタル外壁にグレーのシングル葺き方形屋根が載った家は、近隣の点在する住宅と異なる文脈で造られた家であり、どことなく篠原一男の影響を受けているように思えた。その「散田の家」が坂本一成氏の処女作であったことを後から新建築の記事で知った。「散田の家」が現存するのかどうかも、どの辺りに建っていたのかも中央線の車窓から確認することは現在となっては難しい。
そういえば「水無瀬の町家」は、TOTO通信2005年夏号のF森教授の連載「原・現代住宅再見」に出てましたね。室内のペイントも奇麗に塗られているのでTOTO通信の取材前に内外とも塗り替えたのでしょうか。

Posted by: iGa @ March 8, 2007 10:14 AM