川合健二の....... | [ Architecture ] |
それは、宇宙人の忘れ物のように、あった。
仕事が終わって、ビールの時間にはまだ時間あった。
イトコーの小林氏、OMソーラー協会の吉田氏とちょこっと散歩にでかけた。目的地はあの川合健二のコルゲートパイプの住宅だ。
それは、豊橋市の国道1号を浜松方面に向かった所にあった。
● aki's STOCKTAKING: 川合健二マニュアル(仮)
ついに、予約することができるようになった。
● aki's STOCKTAKING: 川合健二マニュアル /予約
ついに、手にとって読むことができるようになった。
● aki's STOCKTAKING: 川合健二マニュアル
秋山東一様
早速のお返事ありがとうございます。
河合健二様のお孫さまということだけ伺っており、お父様のお名前は存じ上げませんでした。
7年ほど前になると思いますので、覚えていらっしゃるか分かりませんが、このサイトをご覧になるとこを期待しております。
ありがとうございました。
Posted by: 山本健嗣 @ February 12, 2008 01:36 PM山本健嗣さん、はじめまして、こんにちは。
>河合健二さんのお孫さんでAさん...............
ということは、健太郎さんのご子息のAさん、ということになるのでしょうか。お待ちになれば、きっと、Aさんもここをご覧になることだと思います。
以前、河合健二さんのお孫さんでAさんとバイトをご一緒したことがあり、何気なくネットサーフィンをしてここに迷い込みました。
当時、バイトの方といつか皆で豊橋まで河合健二さんの「コルゲートパイプの家」を見に行こうと話していたのが懐かしいです。
今、Aさんは写真の仕事を続けていらっしゃるのでしょうか?
Posted by: 山本健嗣 @ February 1, 2008 06:13 PMご丁寧なお言葉恐縮です。母がようやく納得しました。お騒がせのことお許しを!更に今後とも見守っていただくことを宜しくご指導の程、お願いします。 川合健太郎
Posted by: 川合 @ December 18, 2007 10:49 PM川合 様、了解しました。
私は川合健二の「コルゲートパイプの家」は学会賞よりも、DOCOMOMO に選ばれた方が相応しいし、ずっと価値あるように思えます。おめでとうございます。
訂正とお詫び
母からのFAXは実に紛らわしく、日本建築学会の便箋で、主催者はDOCOMOMOという鈴木博之が代表を務める団体の認定であることが判明しました。誤解は日本建築学会なる書面を使って、団体名をはんこで見えないため、学会発行と勘違いしたせいであります。ここに訂正します。
11月13日に石山氏から母に電話があり、昨日、母から建築学会から正式な手紙が届いたそうです。喜ぶべきでしょうが、一番困るのは、貴兄のように善意で講評頂くのは有り難く、また恐れ多い事と感じておりますが、同時に、母が一人で守ってます。どこかの無粋な発言「まだ見てない方は速く行ってみてきたほうがよい」等の発言は許せません! あくまで個人の住居であり、誰もがアポなしに訪れる程、日本は平和では在りません。
受賞に価する意味は、それを継続して守ってゆく責任があるということであり、困ったことであります。
この場を借りて、どうぞ動かずに見守っておいてください、そして誰もが「煽らないでください」それが勝ちのある物であればこそ。 後継者:川合 健太郎
川合健太郎さん、それはうれしいニュースです。正式な発表が待ち遠しいです。
確かに、今更という感じをお持ちになると思いますが、若い世代の人達が川合健二の存在に気がついたのではないでしょうか。
そうらしいですね<基本的には本人の死後11年経ってマニュアルを作ったり、雑誌クウネルに掲載されたり、可笑しな時代背景を感じます。母は88歳で、このお陰で張り切って暮らしてます。男共は女性のパワーには勝てません。我が家も例外なく、こちらの66歳のほうが疲れてます。
まさに親父の遺言となりましたが、「俺は10年先を見てる、お前は5年か3年先だろう」死後11年記録に残っても、今頃認める賞の勝ちが何であるのか?そして今後あの物をどうしろと言いたいのか? そもそもあれは建築ではない、強いて言えば母が住んでるから住居でしょう。あれを建築学会が賞を与える?
建築家は起訴と柱と屋根のある建築を否定したのか?
川合健太郎さん、どうも失礼いたしました。
それは、来年..........2008年度の学会賞ですね。
秋山さんともあろう方が何を誤解されているのか?貴方の言うそれはずいぶん前の話であり、建築家協会でしょう!
今回は
石山修武からの連絡で日本建築学会賞です、勘違いしないでください、私は息子だから~母の手元にも建築学会から入賞通知がきています。石山のHP世田谷村日記R351参照
kenntarou kawai さん、はじめまして、こんにちは。
2004年の第5回日本建築家協会25年賞の住宅部門5点の内の一つとして「コルゲートパイプの家」が受賞されていますね。
http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2004/main.htm
川合健二のコルゲートハウスは、本年度の建築学会賞を受賞だそうです。
Posted by: kenntarou kawai @ December 17, 2007 10:35 PMおはようございます。ブリコルールのページからここに来ました。すごいですね!私は今、浜松の東側に住んでいて、2年前までは、豊橋の西側に住んでいました。それを結ぶ線上に、コレがあったとは…これもご縁なのかも…。《花子さん、澄子さん》なんて素敵なお名前でしょう!行ってみたいなあ…。サザンの桑田佳祐、先日亡くなったテノール歌手のババロッティも楽譜は、ちゃんと書けないし、読めないと聞きました。音楽の大学を出ているわけでもない…。彼らも川合健二氏もブリコルールだったのでしょう。そして、そこを理解し、支え、応援してくれる家族や友人やフアンに見守られ、多くのブリコラージュがなされてきたののでしょう。
Posted by: もこもこママ @ October 4, 2007 08:34 AM今田澄子さん、はじめまして、こんにちは。
兄上であらせられる川合健二氏は、もっともっと評価されるべき人と考えています。
地球温暖化が叫ばれ、我々の環境に対する姿勢が問われている今、川合健二氏の思想、その先験的な実践が大いに評価され、学ばれることになって欲しいと考えています。
今年暮れには発刊される「川合健二マニュアル(仮)」も、その一つの契機になることと思っています。
私は川合健二の実の妹です。79歳。年が離れていますので、大きい兄と尊敬していました。兎に角,変わった人ですが、人一倍努力をする人、元気を与える話をする人、と思います。
兄嫁の花子さん無くしては川合健二は存在しないと思って居ます。夫婦仲良く、どんな話にも、飽くことなく付き合い、お互いを認め合って寄り添って過ごしていました。見事な夫婦でした。花子姉、もうかなりな年ですが、頭脳明晰、畑仕事に忙しい日々、毎年、実りの季節に美味しいみかんを贈ってもらいます。
takagaki さん、はじめまして。
現今の建築の問題は、川合健二の持っていたグローバルな視点を欠いていることにあるのではないか.....と考えています。
学生時代に、
恩師から聞かされた建築家たちの英雄伝。そのひとりが河合健二さんでした。ちょっとフラーっぽくグローバルな視野で、反してローカルに生きてみえたような印象を持っています。
こないだもいってきました
奥様 花子様お元気でした
まだみていらっしゃらないかたは
ぜひ いってみてください
レスありがとうございます。
先日機会あって
http://www.nmao.go.jp/
を見に行ってきたのですが、展示されている絵には非常に感動したのですが、正直ハコにはあまり感動できませんでした。
むろん美術館という特殊な空間なので、あれはあれでいいのかもしれませんが。。。血税が。。(笑
ネットで知る川合健二+コルゲートハウスは、少なくとも上記のそれより人間として必要なことを教えてくれるような気がしました。
※地元贔屓かもしれませんが(笑
アプレット さん、はじめまして、こんにちは。
この川合健二のコルゲートパイプ、小林さんのご案内で見ることができました。川合健二の思想、哲学はまだまだ見直されてしかるべきものと思っています。
はじめまして。。です。
小林さんのブログから来ました。
この建物が実弟の会社の近くにあったとは知りませんでした。
しかし、ネットでいろいろ検索して、川合さんのポリシー?みたいな無形なものが、色んな形で色んな人に残っているのは感動です。
モノづくりに携わる人間として見習いたいと思いました。
はじめまして。
65歳の農業機械整備 1級技能士です。
昭和41年から45年まで農機具のお客さんとしての健二氏を知っています。
出来た当時はハニカムハウスと本人が言っていました。
(私たちは龍宮城と呼んでいましたが。)
私人としてのエピソードも尽きません。
近々どこかで公開しましょう。
杏奴ミーティングでお目人かかりましたmasaです。凄い写真を見せていただきました。キーを打つ手が震えるほど興奮してます(^^; 栗田さんとの協同作品が完成したあかつきには、必ず読者にならせていただきます。
Posted by: masa @ December 5, 2004 04:05 PM川合健二で検索したところ
秋山さんのブログにたどり着きました。
ものすごく迫力のある写真ですね。
私も一度見に行きたいと思っています。
奥さんはまだここにお住みなんでしょうか?
トラックバックもさせて戴きました。
それではまた
ん〜、Google検索でいきなり "aki's STOCKTAKING"が一番になってしまうのも淋しいですね。
それにしても石山修武氏のコルゲートが紛い物に見えてしまうくらいに迫力がありますね。
昔々、建築評論家・川添登氏の著書(タイトル不明)に川合健二氏の隠れたエピソードがありました。もう手元に本が無いので記憶しているところだけで言えば、戦後になってからアメリカの最新空調エンジニアリングを独学で身に付けた訳ですが、その方法は凡人には真似できないもの。日本が占領下にあったころ当時の進駐軍の資料室に通って、閲覧が許された技術資料のマイクロフィルムをそのまま位置情報(映像として記憶)として暗記したとの伝説があります。もちろん、その記憶を検索、再生することが可能だったわけです。
川合健二氏は図面が描けないと云う伝説。
丸の内の旧都庁舎の設備設計の時、図面が描けない川合健二氏は助手の傍に付ききりで設計を指示、それだけでなく鉛筆も削り揃えてあげたとか。
建築確認申請が受理されなかった話も伝説。
建築物は基礎に固定されていなければならないとう法解釈により建築物として認められなかった。これは最近注目されている免震構造の先魁ですね。
川合さんのコルゲートはやはり迫力がありますね。もう20年以上前に見たきりですが。なにかすごみが増したように見えます。
Posted by: komachi @ June 1, 2004 09:58 AMはじめまして
一月前くらいにネットサーフでマドコンからこちらへと、隠れ読者でした。いつも楽しく拝見しています。
まだまだ若手で(35才)川合健二の家は石山おさむ氏の著書やたまに雑誌に紹介されている程度しか知りません。丹下氏の設備エンジニアであったこと、最近亡くなったこと程度は知っています。
たぶん年輩の方と感じ方に温度差があると思います。もう少し詳しく知りたいのですが。なぜ河合健二がカリスマであの住宅が話題になったか?など